パチンコ店員をやめた後。元店員の末路(ゝω・)

パチンコ店員に対して、「無能」とか「底辺」とか表現する人がいる。
元パチンコ店員の僕は、そんなことを言う人に対してハッキリ言わせてもらおう。
まぁね( ̄∀ ̄)
しかし、「店員やめた後に就職できるところなんか無いだろ」なんて意見もあり、それに対してはきっちり否定できます。
僕はパチンコ店員から、普通の仕事に転職したのです。
このページは元パチンコ店員のアフターストーリーです。
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これはパチンコ店員をやっていた人間は、その後成功できたのか?って話です。
「無能」「底辺」のイメージをくつがえすことができたのか?
ふっふっふっ…余裕で世間のイメージを否定してやろうじゃないか。
2016年で33歳を迎える男の生き様をご覧ください。
「パチ店員を卒業した後の人生はハードモードである」
それを否定していこう。
あなたは、現役のパチンコ店員ですか?
これからパチンコ屋で働こうと思っている人ですか?
なんとなく、このページにたどり着いた人ですか?
まぁ、誰でもいいけど(´・ω・`)
暇つぶしにはなるだろうよ。
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さて、僕は約10年、計5店舗を渡り歩きました。
東日本大震災が発生したあと、輪番停電の際に「パチンコ屋は電気の無駄」的なイメージをもろに体感し、パチンコ店勤務の人生に疑問をもつようになりました。
そして31歳の秋、ようやくパチンコ勤務卒業を決め、他の仕事に就職する決意をしたのです。
人生の転機!いざ就職!!
僕は、コンクリートブロックを作る工場に就職しました。
さてさて、パチンコ店員は無能なんてイメージ、壊してあげましょうかね~。
とっとと仕事覚えて、昇進でもしますか。
それにしても、秋の入社だったから寒かったですね~。
パチンコ店っていう、冷暖房完備の空間から一変、工場内に外気がガンガン入ってきて、冬なんか僕も息子も縮こまりましたよ。
でも、一番の問題は、すごく汚れる環境だったことです。
パチンコ屋のタバコの煙まみれなんて、むしろ快適だった。
セメントの粉が空中を舞い、服はもちろん顔面だって粉まみれです。
マスクを装着しますが、それでも鼻や口の中に粉が入ってきます。
あまりに酷い仕事環境でした。男31歳、4ヶ月での退職です。
人生の勝ち組へ!いざ再就職!!
気合いを入れて入社したコンクリートブロック会社の退職が精神に影響し、僕は半年ほど自宅警備員の職に就きました。
俺は無能なんかじゃないんだ!
自宅にひきこもる僕にできたことは、そうやってプライドを保つことと、摩擦行為だけでした。
そして日に日に減っていく貯金…。
このままじゃダメだと気づき、再就職の決意を固めたのです。
32歳の夏、金属を加工するマシニングオペレーターという職に就きました。
ようやくニート卒業です。
ボーナスが良さげな会社で、頑張ろうと思いました。
でも職場の人が職人気質な感じで、初めは戸惑いましたね~。
マシンを操作する訳ですから、先輩は初心者の僕に当然マシン操作を教えてくれました。
色んな工程をこなすために、何十回と色んなボタンを押す複雑な説明を、1回だけしてくれました。
1回説明して、「覚えた?」とか聞いてくるんですけど。
「もう1回お願いします」って言ったら、「覚えられるはずなんだけど…」だって。
最強に無理だったのは、仕上げた製品を2トン車で納品に行くときでした。
いきなり言われたんです。「1人で納品してきて」って。
僕、2トン車運転したことないけど?
あと、納品に付き添ったこともないけど?
まぁ普通免許なら乗れるってことで、僕はしぶしぶ運転を決意しました。
しかし、納品先の業者なんて当然聞いたことない名前だし、住所も分からない。
僕は聞きました。「納品先までの地図は無いですか?」
そしたら先輩は、車で30分ほどかかる納品先までの道のりを、口頭で説明してくれました。
泣きそうになりながら初めての2トン車運転。
せまい道に迷い込んで、車を壁にぶつけそうにもなりました。
そして決めました。ここ辞めよ。
あまりに雑な教育でした。男32歳、3週間での退職です。
人生の巻き返し!いざ再々就職!!
金属加工業を辞めた訳ですが、労働意欲が残っている内に!ってことで、電子部品を作る会社への入社が決定しました。
僕ほどの優秀な人材が、また自宅にひきこもる訳にはいかなかったのでね。
その会社の給料は「こんなものかな」程度、だけど冷暖房完備の環境・さらに若い女子もたくさんいる!
これで気合いが入らない訳がない!!
頑張って存在を周りにアピールして、いつか何人もの女性社員と禁則事項です。するんだ!
入社初日、気合いが入りすぎた僕は、勤務開始より40分も早く出社してしまいました。
もちろん、先輩たちが出社するのを待って、「今日からお世話になります!」って挨拶をして、好印象をもってもらうためです。
で、僕が40分前出社したときには、既に先輩たちは全員出社して作業を始めてました。
受注が多くて早く出勤していた…のではなく、この会社、1時間前出勤がデフォでした。
なおこの会社、1時間前に作業を始めたところで、割り増し賃金がもらえる訳ではありません。
さらに、計3回で計60分の休憩を、先輩たちは計20分くらいしかとっていない様子。
なおこの会社、休憩を早く切り上げたところで、割り増し賃金がもらえる訳ではありません。
さらにさらに、勤務終了時間のあとも、30分ほど片付けや掃除が入ります。
なおこの会社、ちょっと残業したところで、割り増し賃金がもらえる訳ではありません。
一日あたり実質10時間労働、そのうち2時間はタダで働く、真っ黒な会社でした。
典型的なブラックでした。男32歳、2週間での退職です。
俺は大器晩成!いざラストチャンス!!
僕は疲れた。
入社する会社、すべてが普通じゃないんだもん…。
でも諦めませんでした。
僕は、パチンコ店員は「無能・底辺」というイメージを否定しなければいけない。
給料は安くても良いから、とにかく続けられる仕事がしたい!
僕は、仕事が簡単なのが見え見えな、とある作業員になりました。
本当に給料安いんですよ、週5で月給18万。
だけど、実際の勤務自体は週6ってことで、休日手当ても含めると22万くらいと予想。
休みは少ない、しかも最初の3ヶ月は時給制。900円だって。
パチンコ屋の給料と比べたら、そりゃ話になりませんわな。
でも、なじみやすい職場なんです。
先輩たちはおじさんばかりだったけど、気さくに話しかけてくれて、「ここなら続くぜ」って手応えがありました。
勤め始めて2ヶ月、作業の影響で指が曲がりっぱなしで真っ直ぐに戻らなくなったけど、居心地の良さが上回っていたので辞めようとは思いませんでした。
頑張り続ける毎日、まずは3ヶ月で問題なく月給制に移行するのを目指しました。
目指せ月給制!週5で月給18万!!
実質週6だけど月給22万!!
時給換算で1000円ちょっとだぜ!!www
そして、3ヶ月目に突入したとき、先輩から衝撃の事実が発表されました。
「ここ、週6で18万だよ。」
…求人票には嘘が記載されていました。
指が異常な状態になって、しかも週6で18万=時給換算900円くらい、って今と変わらないじゃん。
むしろマイナス?
やってられません。
安すぎる給料でした。男32歳、5ヶ月での退職です。
そして伝説へ…
このページを作成している時点で僕は32歳、また自宅警備員の職に就きました。
なにか問題ありますか?
冒頭の、「パチンコ店員をやっていた人間は、その後成功できたのか?」「無能・底辺のイメージをくつがえすことができたのか?」
その答えを僕は出しました。
全てのパチンコ店員に言いたいことがある。
俺のせいで、ごめん!www
これまでの就職話は、パチンコ勤務を卒業した後に本当に体験した悲劇の連鎖。
元パチンコ店員の僕は、無資格でOKだからパチンコ店で働いていた訳です。
そして、別の仕事を探すにも、無資格でOKな職場しか探せなかったのです。
「パチ店員を卒業した後の人生はハードモードである」
…少し違うよ世間さま。
ナイトメアモードだよっ!!
簡単で給料が良いからパチンコ店勤務をしていた僕。
パチンコ勤務を卒業しようとしたときには、歳はとっているし資格もない。
パチンコ店員から大手の企業・有名企業にステップアップできた人がどれだけいるだろうか。
30代・資格なしの男が入れる会社なんてハズレしかないのか。
僕には悲しい末路しかないのか。
この先の人生に明るいことなんて待っていないのか。
そして、そんな経験をしておいて、なぜ俺は資格の勉強すらしないのか。
無能な元パチンコ店員の伝説は続く…。